20歳と38度線

とある大学生の日常とエッセイ。ソウル大学交換留学、彼氏は韓国陸軍軍人。K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島を書いています。

気まずいキムくん

 

10年前の私が今の私を見たらどんなに驚くだろう。」

 

と、留学に来たはじめの頃はよく思っていました。

 

当時は存在さえ知らなかった国で、

 

当時一言も知らなかった言葉を話し、

 

当時全く知らなかった焼酎を友人たちと囲む今の私の姿を、

 

12歳の私は想像できるのだろうかと考えると、可笑しくて笑ってしまうのです。

 

 

 

私は、もともと外国人が苦手でした。

 

私の初めての外国人との接触は悲惨なものでした。

 

運が悪かったと言うこともできるでしょうが、イギリスから来た英語の先生との相性が抜群に悪かったのです。

 

 

小学一年生の時、人見知りが激しかった私に

 

先生が初対面でいきなりハグをしてきて、とても大きな嫌悪感を抱きました。

 

それと同時に鼻がねじ曲がるほどの強い香水の匂いが脳裏にこびりつきました。

 

他にも、授業で不気味な絵をみせて、

 

「クールだろ??」

 

と無理やり同意を求めたり、

 

 

ことあるごとに子どもたちを抱きしめ、大きな腕で首の周りを覆われるたびに私は、圧倒的な体格差に生命の危機を感じました。

 

 

 

日本語を話さず、意思疎通がほぼ不可能で、

 

私に恐怖心を植え付けた、肌が白く目が灰色の彼を私は同じ人間として見ることができませんでした。

 

それがトラウマになって、年代わりで外国からやって来る英語の先生たちとは、たとえどこの国の人であろうと極力距離を置くようになりました。

 

 

 

中学2年生の時、町が支援をしてシンガポールにホームステイに行く機会がありました。

 

 

これからの「グローバル社会」で生きていくには英語が話せた方がいいし、そのためには外国人嫌いを早めに払拭しておいた方がいいと幼心(?)に考え、自分で申し込みました。

 

 

結果は、完全に裏目に出ました。

 

 

いくら学校のテストの点数が良かったと言っても、試験と話すのは全く別物。

 

自分の英語が全く通じないことにショックを受けました。

 

さらに、ホームステイ先の娘さんが、クールビューティーな女の子でほとんど笑わず、私が英語が通じないとわかると、あまり話しかけてくれませんでした。

 

ほぼ常に行動をともにする彼女の視線がプレッシャーで、誰か私をマーライオンの口にぶちこんでそのまま海に流してくれと何度も思いました。

 

結局、観光もなにもできなかった私は

 

英語の苦手意識と、不親切な(当時はそう思ってた)友人との思い出、粉々になったプライドだけをシンガポールから持ち帰ったのです。

 

 

 

 

その後海外旅行をする機会もなく、

 

ど田舎なので、外国人は英語の先生しかおらず、

 

偏見が変わる機会はなかなか訪れませんでした。

 

 

むしろ、実体験にメディアからの情報がプラスされ、外国人への偏見はどんどん大きくなっていきました。

 

高校生になると、日本が一番いい国だと信じ、

 

外国への憧れなど皆無で、

 

一生日本で生きていくと決めていました。

 

 

 

 

絵に描いたような”愛国心”をぬくぬく育てていた矢先、

 

 

自分のクラスに韓国からの留学生キムくんがやって来ました。

 

 

県内の高校で初の試みらしく、11クラスある1年生のクラスのうち、私のクラスが選ばれました。

 

 

げげげげ、まじか

 

 

と、始めはひるみましたが、

 

 

まあ、クラスメイトは40人いるわけで、できるだけ関わらないようにすればいいんだと、無関心を決め込むことにしました。

 

 

しかし、やはり16歳で非英語圏に留学に来るだけあってキムくんの社交性と積極性はずば抜けていて、

 

ぬる~っと彼を避けていた私も何回か話すことがありました。

 

 

 

 

ある時、私が建築が好きだという話をすると

 

「あ、僕も好きだよ」

 

と言われドキッとしつつ、県立美術館の構造がすごくお洒落なんだと私がいうと

 

「じゃあ、今度一緒に行こうよ」

 

と言われました。

 

 

その時も、一番最初に出て来た感情は

 

こんなに軽く人をさそうの??めんどくさくなったなあ……

 

というもので、結局、適当な理由をつけて美術館には行かなかったと記憶しています。

 

 

 

彼がクラスに加わった日は、体育祭当日でした。

 

初めての留学生ということでみんな話しかけにいき、クラスメイトの彼への興味は文化祭シーズンのワクワク感とともに上昇していきました。

 

しかし、時が経つと、彼へ対する一時的な関心はうすれていったようでした。

 

仲良い友人ができたみたいで、彼自身はすごく楽しそうでしたが、

 

私は、クラスには私と同じように何となく彼を避けている人がいるようだと敏感に感じ取っていました。

 

 

 

当時を振り返えると、私たち田舎の学生には早すぎたんだろうなと思います。

 

外国人を目にする機会がほぼない日本のど田舎で、初めて見る同世代の外国人に一部の人がチビっていたというのが、実際のところだったと思います。

 

 

 

彼は、6ヶ月間、私のクラスにいました。

 

完全に馴染むでもなく、異質な存在として浮くのでもなく、彼はずっとそこにいました。

 

そして、常に違和感を感じながら、特に話しかけるのでもなく、でも無関係でもなく、彼から常に5メートル以内のところに、私がいたのです。

 

 

ずっと引っかかっていた異邦人に対する違和感は、私にわずかな振動を与え、深層心理を震わせていきました。

 

 

 

彼が帰国する日、なぜか私は空港にいました。数人しか集まらなかったクラスメイトと一緒に彼を見送るためです。

 

ほとんど初めて、悪意のない言葉を彼にかけていました。

 

「また会おうね。」

 

嘘になるかもしれないその言葉を、私はあえて口にしたのです。

 

 

 

3年後、その言葉は現実になりました。

 

 

彼が帰国した後、韓国ドラマにハマり、大学の第二外国語朝鮮語を習い始めました。

 

長期休みを利用して、学校のプロジェクトで釜山に短期留学した時のことです。

 

 

それほど仲良くなかったので、前もって連絡することに負担を感じ、日本を出発する直前に「もし時間が合えば」という軽い気持ちでメッセージを送りました。

 

するとキムくんは、地元から高速バスで3時間かけて私に会いに来てくれたのです。

 

 

私が海雲台に行きたいというと、自分も見知らぬ土地を一生懸命案内してくれたり、

 

刺身が食べたいと言うと、ネットで調べて地元で美味しい日本食屋に連れてってくれたり、

 

韓国語が全く話せない私に、相変わらず流暢だけど本人は下手になったという日本語で一生懸命話してくれ、

 

 

私は彼に、またも違和感を覚えたのです。

 

 

 

「なぜ、こんなにやさしいんだろうか。」

 

「私は、君を避けていた人間なのに、なぜそこまでしてくれるんだろうか。」

 

 

 

申し訳なさが溢れ出てくると同時に、過去の自分の器の小ささに怒りを覚え、

 

 

初めての海外留学のストレスと混ざりあって、帰り道に思わず泣いてしましました。

 

 

泣きじゃくりながら、「ごめんなさい」「ありがとう」しか言わなかったので、キムくんは何のことだか分からなかっただろうと思います。

 

 

でも、「実は君のことが嫌いだった」と言うのも違う気がして、ただ謝り、お礼を言いました。

 

 

それが私なりの懺悔でした。

 

 

 

 

大学に入って、私はたくさんの国の友人たちと知り合いました。

 

アジアだけでなく、地球の裏側まで友人が広がったのは嬉しい誤算でした。彼らのおかげて私はとても楽しい大学生活を送ることができています。

 

しかし、それも、キムくんがいなかったらと思うとすこし怖くなるのです。

 

私の外国人恐怖症が、差別や偏見だと認識したのは、大学に入学し、外国人恐怖症を克服した後のことです。

 

 

私が、ガチガチの外国人への偏見を持ったまま大学に入っていたとしたら、

 

今でも文学にこもり、盲目的に日本だけを愛していたのだろうと思います。

 

全く違う世界を知る面白さや母国語以外の言語で話す楽しさを知ることはおろか、

 

差別を差別と認識もせず、ただ避けることを繰り返し、知らぬ間に誰かを傷つけていたかもしれません。

 

 

良くも悪くも差別の最初の転換点は「触れること」なのだろうと最近考えるようになりました。

 

英語の先生とヨーロッパからの友人、その他諸々の友人との接点は、今では線となり面となり、私の中にある巨大な地球儀を覆っています。

 

そして、何より私の良い接点の始まりは”気まずいキムくん”であり、

 

当時どんなに気まずかったとしても、キムくんは確実に私の人生を変えた偉大な友人の1人なのです。