20歳と38度線

ソウル大学留学生の日常とエッセイ。彼氏は韓国陸軍軍人。K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島を書いています。

どん底の私が天使に出会って留学した話。

高校生まで私は、いい学校に行けない人は努力していないからだと思っていた。

 

先生に怒られるのは、怒られない方法を知らないからで、

勉強ができないのは、勉強してないからで、

褒められたり賞をもらったりするのは、自分が努力したからだと思っていた。

 

だから、成果を得ていない人は努力をしていない人だと思っていた。努力は必ず報われるものであり、報われない人はただ努力をしていないんだと。

 

自分はいつも努力をしてきた。

親の教育は厳しく、小学生の頃からテストは満点が絶対条件だった。よりいい学校、よりいい大学に入るために一生懸命勉強した。

 

今の自分は、自分の努力の結果であり、今のこの学歴も自力で勝ち取ったものだと信じていた。

 

しかし、名門と言われる大学に入ってから、自分が勝ち取ってきたもの全てが、大学生活を送る上では何の役にも立たないことを知った。

 

裕福ではない実家は、私学の学費を工面するだけで精一杯だった。上京してすぐ、生活費を稼ぐためにバイトに追われた。奨学金を借りて家賃を払い、生活費は自分で稼がなければならなかった。思い描いていたキャンパスライフとは程遠い、毎日を時給に換算する日々が始まった。

 

お金がないのでサークルにも入れず、遊ぶこともできなかった。休みの日は一日中家で寝た。辛いバイトも、来月の生活費が無くなることが怖くてなかなか辞められなかった。1年もすると自分で選んで入った大学に行く意味が分からなくなった。しかし、両親が必死に働いて行かせてくれている学校を辞める気にはなれなかった。親が望んだ学歴を私も心のどこかで望んでいた。卒業だけはしよう。その頃は、家と学校とバイト先を結んだ三角形が私の世界の全てになっていた。

 

帰ったら暖かいご飯があり、来月の生活費を心配することなく、ふかふかのベッドで寝る。当たり前だと思っていた幸せを、私は上京と同時に失った。受験生の時、田舎を出たいという一心で、必死に勉強した。こんなに苦しいなら、あんなに頑張るんじゃなかった。適当に勉強をして、適当な大学に入っていた方が100倍マシだった。

 

あれほど渇望していた東京は、いつも私に冷たかった。ノルマを課せられるバイト先、暖房を節約するしかないワンルームの部屋、ただ広いだけの講義室。私の心が休まる場所はどこにも見つからず、私の望んだきらめく世界も東京のどこにも見当たらなかった。

 

じゃあ、どこにあるの?

 

私の羨む世界は、いつも画面の中にあった。同級生たちは休みになると海外旅行に行き、サークルの仲間たちとバンドを組み、ライブハウスでライブをした。将来良い職につくために資格を取る塾に行き、大企業でインターンをしていた。

 

いいね。いいね。いいね。

 

私はいつも羨むだけだった。東京の実家、親からの仕送り、小遣い稼ぎにするバイト、時間の余裕、沢山の友達。私はその中の1つだって持っていなかった。同じ大学生のはずなのに、不思議なほど私は何も持っていなかった。

 

私の努力が足りないんだろうか。

こんなに頑張っているのに、こんなに疲れているのに……私はまだ、頑張りが足りないんだろうか……

 

その気になれば、私はまだ頑張れるんだろうか……

 

頑張ったら、どこかにたどり着けるんだろうか……

 

 

どこに?

 

 

そんな時、私を救ってくれたのが、韓国のアイドルだった。辛く暗い練習期間を耐え抜いた彼らの姿に自分の境遇を重ね、熱中した。私も辛くても耐えていれば、いつかチャンスが回ってきて、私の望んでいた世界に行けるかもしれない。どれだけ苦しくても、それまで耐え抜こう。韓国のアイドルに熱中すると、自然と韓国語を勉強するようになった。韓国語を少し話せるようになると、自然と韓国に留学したいと思うようになった。

 

しかし、またも金銭面で問題があった。

大学の留学科に相談すると、どう低く見積もっても200万円は必要とのことだった。どこからそんな金が出てくるのか……。親に頼んでみたが、やはり無理だった。

 

分かっていた。私は希望を持ってはいけない人間だということを、その時の私は分かりきっていた。もう、諦めるしかない。

 

自業自得なのだ。

 

海外旅行に行くお金すらない学生が留学なんて行けるわけがない。一瞬でも心踊った自分がバカだった。これが、私が選んだ道であり、全ては私のせいなのだ。

 

しばらくして、大学生活にも慣れ、いいバイト先も見つかり、自分の時間を持てるようになった。大学2年生になって、出来るだけお金のかからないサークルを選んで入った。友達が数えるくらいできた。韓国語はぼちぼち続けていた。大学の単位を楽に取れる方法を知ったら、ずいぶん勉強が楽になった。

 

そんな頃に、彼に出会った。サークルの練習室で、1人でギターを弾いていた時、「何の曲弾いてるの?」と彼が話しかけてきてくれた。すらっとした長身で、ゆるくパーマをかけた黒髪。茶色い目に、半透明のメガネをかけていた。

 

一目惚れだった。

 

名前を聞くと韓国人と分かり驚いた。もうずいぶん長く日本に住んでいるらしく、外見ではほとんど日本人と変わりなかった。韓国という共通点がある2人は、仲良くなるのに時間はかからなかった。マニアックな韓国のテレビの話をするたびに、「え、僕それ小さい時見てたよ」と驚いてくれた。

 

これまでにないくらい人を好きになった。人をこんなに好きになれるなんて、思ってもみなかった。幸い、彼も私を好きになってくれて、毎日「愛してるよ」と言ってくれた。なんでもないことが幸せだった。手を繋いで夜道を2人で散歩すること、彼の待っているカフェテリアに走って行くこと、履いていた靴下に穴が空いてたこと、ノートの隅に落書きすること。全部、全部、幸せだった。

 

「頑張らなくてもいいよ」と私に初めて言ってくれたのは彼だった。「もう十分頑張ったよ。めんどくさがりやで泣き虫で、ほんとはとっても優しい君が僕は大好きだよ」と言ってくれた。彼は私に何も求めなかった。いい成績も、いい学歴も、労働時間も、彼が私に費やした分の時間も、何の対価も求めなかった。彼は「君がいればそれでいいんだ」と笑って優しく抱きしめてくれる人だった。東京で初めて私の居場所ができた気がした。

 

もう、この人を逃しちゃダメだと思った。やっと私に回ってきたチャンス、私に差した一筋の光を逃しちゃダメだと思った。この人とずっと一緒にいたい。どうすればいい?彼と一緒に生きていくには、彼の家族に認めてもらわなければならない。そのためには、韓国語が話せなければならない。

 

私は韓国に留学することに決めた。

 

それからは、自分の親を説得して留学の許可をもらい、お金は自分で何とかした。休学してバイトを2つ掛け持ちし、東京での生活費を稼ぎながら、6ヶ月で60万円貯金した。給付型奨学金にも合格し、ギリギリで留学に行けるようになった。

 

 

今、彼は韓国軍隊にいる。私の留学に合わせて帰国してくれた。毎日電話をして、月に1回は必ずデートをしている。もうすぐで1000日記念日だ。もちろん、彼だけが留学した理由ではないけれど、きっと私は彼に出会っていなかったら留学はしていなかっただろう。そして、ここでこうやって文章を書くこともなかっただろう。もし彼に出会っていなかったら、と考えると怖くなる。自分を諦め、道端に捨てられた空き缶のように、中身のない歪んだ人生を送っていただろう。私は彼というチャンスを掴んだ。そして、韓国に留学に来て、私は夢を見つけた。報われなかった私を、彼は何気ない一言で暗闇からすくい取ってくれた。過去から私をすくいとって、今私をひっぱってくれている彼の右腕。晴れた日の雲のように白くて柔らかいその腕に、私はあと何回触れられるんだろう。

 

君が生まれた国で私は今、生きている。

君がくれた翼で今度、君から見える1番遠くの場所まで行ってみようと思う。そこがどこかはまだ分からない。でも君と見る景色は、たぶんきっとどこでも美しいんだろう。