20歳と38度線

ソウル大学留学生の日常とエッセイ。彼氏は韓国陸軍軍人。K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島を書いています。

96年生まれのワセジョが『キム・ジヨン』を読んで考えたこと。

「最近“キム・ジヨン”が熱い」

 韓国文学界隈では『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、筑摩書房。以下『キム・ジヨン』)が邦訳発売前から話題になっていた。韓国で大論争を呼んだ本だからだ。K-popアイドルがこの本を“読んだ”と言っただけで炎上し、男性ファンから非難を浴びた。“フェミニズムの本”として韓国で知れ渡っているこの本は、韓国の#metoo運動で大きな役割を果たし、100万部を超える大大大ヒットとなった。
 日本でも重版に重版を重ね、売れに売れていると言う。そこまで言うならと、思い腰をあげたのが今年の冬だった。

 

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『82年生まれキム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、筑摩書房

 私が『キム・ジヨン』を読んで最初に抱いたのは「これは過去の物語である」という感覚だ。私はまだ、この世に生を受けて22年しか経ってない。小学生のときから男女平等は当たり前の脱ゆとり世代である。平成14年に小学校に入学した。私たちの世代は、学校では男女関係なく名前には”さん”付け、男女関係なく受験勉強の餌食、男女関係なく告白しては振られ、男女関係なく生徒会に立候補をしていた。一緒に早稲田大学を志望した男友達は不合格になり、残念だと思いながらも仕方ないなと思っていた。“女子力”を自虐ネタに使い、結婚しないことは一つの選択肢として“全然アリ”だと考えている。ミレニアル世代の次の世代、Z世代とも呼ばれる。


 もちろん「出席番号はどうしていつも男子が先なのか」と思ったこともあったが、時々先生が気を利かせて女子から並ばせたりしたこともあったので、特に気にしてはいなかった。冬に制服のスカートの下に長ズボンが着られず寒い思いもしたが、夏は男子の長ズボンが暑そうだったので、どっちもどっちだなと思っていた。私が鈍感で負けず嫌いなため、周りが気を使っていたのかもしれないし、単なる運のいい恵まれたやつなのかもしれないが、少なくとも私は学校という教育の場で「女だから」とあからさまに差別を受けたことはなかった。


 では、学校以外ではどうだったか。

 鹿児島出身の母や親戚たちに男尊女卑の考え方が染み付いていることは、小さい頃から薄々気づいていた。正月の親戚の集まりで「女の子は片付けを手伝って」と平気で言われたし、弟の方がお年玉の額面が大きいことがあった。そんな時、私は素直に質問をした。

「どうして男の子は片付けなくてよくて、女の子は片付けなければならないの?」

「どうして私たち(三姉妹)より〇〇ちゃん(末弟の名前)のほうがお年玉が多いの?年齢順じゃなかったの?」

納得いく答えが返ってこないと片付けのボイコットと抗議をした。母は、親戚がいる手前最初は叱っていたが、じきに諦めるようになった。子どもたちが大きくなるにつれて兄妹みんなで片付けをするようになり、お年玉の額は年齢順に戻されたので抗議をすることもなくなった。

 家では、小さい頃から兄妹関係なく「医者になれ」と言われ育てられ、「受験では文武両道が受けがいいのよ」と言われスポーツもさせられた。基本的に母は男女平等に厳しかった。

 


 私の恋愛に関して言えば、男尊女卑の要素は1ミリも見受けられない。女性に軽蔑の眼差しを向ける男性は恋愛対象としてこちらから願い下げだし、随分長く付き合っている彼氏が天使みたいな人だということも大いに関係があるだろう。私の彼氏は「結婚したら家事は半々で、2人とも料理がめんどくさかったら外で食べようね」「生理だって聞いて、薬と鉄分ドリンク買ってきたよ」と当たり前のように言う人なので、韓国出身ながら亭主関白の”て”どころか”t”字もない。確かに私の彼氏が出木杉くんであることは否めないが、同世代の男友達から嫌悪感を感じたことはなかったので、私の彼が世間の平均的な男性像からそれほど離れているとは思っていなかった。


 私にとって男女平等は当然のことであり、前時代的な男尊女卑の考え方に抗議することは普通のことだ。なので『キム・ジヨン』は、私には「たった数年前はこんなにひどかった隣国の“過去の話”」という衝撃でしかなかった。それなのに、なぜか世間では『キム・ジヨン』が“今の話”として扱われているのだ。

 

 そして、単なる異国の話でもなさそうなのである。日本でも『キム・ジヨン』の売れゆきはすさまじく、翻訳文学では異例のヒットを重ねている。“日本でも多くの女性が共感”、“私の話だと涙を流す”の類の記事をよく見るし、読んだ人たちがSNSで自分の物語を語り出している。


「え、みんなガチ?」と初めは思った。日本に性暴力や痴漢、受験の不正などの性差別があったとしても、一部の頭のおかしいおじさんたちが起こしている問題で、自分の身の回りは「まだマシ」だと信じていたからだ。SNSに次々と出てくる日常の性差別の底なしさに口が塞がらず、「今まで多くの女性たちが声をあげられなかった」という日本の状況に怒りを覚えた。そして、それと同時に私は恐怖を覚えたのである。


「まだ彼女たちが経験したほとんどのことを私は経験していない」ということに。


 就活だってまだまともに始めてないし、アルバイト以外で職場で働いたこともない。結婚したこともないし、子育てへの不満も、姑問題も未経験だ。そう思った時、主人公キム・ジヨンたちが経験してきた数々の苦難が私の目の前に押し寄せてきた。セクハラをセクハラだと認識してない人と我慢しながら仕事をしなければならないのか???子育てと家事を人に任せたら「ひどい」と陰口を叩かれるのか?男が家事しなくても何も言われないのに???夫が育休取れなくて保育所に預けられなくて仕方なく仕事をやめたら、今度は再就職が難しい???ちょっとまって??それだけでもびっくりなんだけど、これら全てを「女だから」という理由で受け入れろだって???

 

ガチで言ってる????

 

黄色い熊の副読本

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『私たちには言葉が必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン著、タバブックス)

  韓国から帰国した後、すぐに『私たちには言葉が必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン著、タバブックス、以下『私たち〜』)を読んだ。『キム・ジヨン』の副読本としてオススメされていた本だ。『私たち〜』は『キム・ジヨン』とは反対に希望と新しい考え方に満ち溢れた本であった。ページをめくるたびにバッドで頭をかち割られるくらいの衝撃を受け、私も女性差別を完全に否定しきれていないことに気づいた。「いい彼氏」と男尊女卑について話す時のなんとも言えないモヤモヤの正体や“誰も差別しない”ために相手の意見もを認めてしまう自己矛盾の解決方法など、女性が性差別に立ち向かうための示唆に溢れた本であった。『キム・ジヨン』が“問の書”であったとすれば、『私たち〜』は“答の書”というところだろう。

 『キム・ジヨン』を読んで社会の不安に駆られていた私は、この黄色い副読本に大いに励まされた。特に

「あなたの直感は、あなたの思う以上の力を発揮します。望んで手にしたのではなく、感覚的に身につけたものですから」

という言葉に、私は再び自信を取り戻した。

 私たちの世代は、上の世代より優れた男女平等の感覚をすでに持っている。そのことに私たちは胸を張っていいのだ。「女だから」という不条理の毒に侵されていない私たちだからこそ、声を上げることの正しさを純粋に信じることができるのである。そして、私たちが声をあげるほど、世の中の古い感覚は更新され、いつか消えてなくなっていくはずである。

  私は、今まで通り自分の感覚を信じて声をあげていこうと思った。おかしいことはおかしいと言っていこうと思った。おかしいと思いながらも声をあげられず、溜め込むしかなかった時代はここで終わらせなければならないからだ。私は私の大切な人たちを守るために、自分自身と、今まで戦ってきた『母たち』の力を信じることから始めようと思う。

 そして、今だけではなく就職した後も子どもを産んだ後も、『キム・ジヨン』は過去の話だと胸を張って言いたい。これは、私たちの話ではない、私たちの『母』の物語だと愛を込めて叫びたいと思う。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 
私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

  • 作者: イ・ミンギョン,すんみ,小山内園子
  • 出版社/メーカー: タバブックス
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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