20歳と38度線

とある大学生の日常とエッセイ。ソウル大学交換留学、彼氏は韓国陸軍軍人。K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島を書いています。

竹島に行けなかった竹島旅行〜ここではみんなが独島と呼ぶ〜

 皆さんは、竹島をご存知でしょうか。日本と韓国の間にあり、両国とも主権を主張していますが現在は韓国が実効支配を行なっている島です。韓国では独島(ドクト)と呼ばれています。日本から一般の方が竹島に行く方法はなく、韓国からなら行けると聞いたので留学最後の思い出に友達と2人で行ってきました。(※日本語で文章を書くので、ここでの主な表記は竹島とします。地元と関わりのある文脈や、韓国人の方の発言の中等では独島とします。)

 竹島に行こうと思った理由と行くまで

 私が竹島に行こうと思った理由は、一度行ってみたかったからです。私は、K-popをはじめとして韓国界隈をうろちょろしています。そのため、日韓問題について人と話す機会がたくさんありました。その時に必ずと言っていいほど竹島問題が出てきました。しかし、よく話題になる割には外交問題以外の性格が見えてこず、正直話題になるたびに「またか」と思ってしまいました。知れば知るほど私たち一般市民には全く関係ないことだと思えてしまうのです。ただのちっぽけな岩が両国の政治に利用されているだけと思うようになり、いつか現地を訪れて「ああ、やっぱりちっぽけな岩だなぁ」と確認することでそろそろ自分の中で竹島問題を隅に置きたいと考えるようになりました。

 そして、昨年の秋から一年間ソウルへ交換留学をすることになりました。竹島へ行く又とないチャンスだと思い、その時からネットで下調べを始めました。日本人が竹島旅行をした事実は見つけられませんでしたが、外国人も観光目的で韓国から竹島に行けることはわかったので、その時は私も行けるだろうと考えていました。

 もちろん、行きたいと思うと同時に少し怖くもありました。竹島は韓国人にとっては愛国心の象徴とも言える場所ですし、日本人という理由で私が嫌な思いをする可能性はゼロではありません。しかし、長く話さない限りは外国人だと勘付かれない程度の語学力は身につけていましたし、韓国の国内旅行もソウル以外で10ヶ所目だったのでなんとかなるだろうと考えていました。不安よりも怖いもの見たさの好奇心が、私を竹島へ向かわせたのです。

 一緒に行ってくれる政治外交学部の友達を見つけ、5月にパッケージツアーを申し込みました。すると「独島へ日本人は行へません」という返答が旅行会社から返ってきました。日本人以外の外国人は行けますが、日韓関係の悪化の影響を受けた措置により現在日本人のみが竹島に行けないようです。韓国で生活し始めてから、自分が日本人という理由で行動が制限された初めての経験でした。とても不思議でした。今までニュース以外で日韓関係悪化を全く実感することがなかったので、今回やっと「外交関係悪化とはこういうことか」と理解することができました。日韓関係悪化とは、どうやら私が日本国籍だという理由で踏めない土地ができ、私が日本国籍だという理由でできないことが増えることのようです。また、それと同時に日本人が行けない土地に日本の名前が着いているのがとても不思議で皮肉にも感じられました。私の行きたい場所リストから竹島はそう消えそうにないことだけが、その時はっきりしたことでした。

 

いよいよ出発

 竹島に行けなくても、隣のウルルン島までは行くことができます。一緒のパッケージツアーに参加していた人に聞いた話ですが、ウルルン島は韓国ではそれなりに有名な観光地で、ひと昔前は両親を旅行に連れていく親孝行旅行の代名詞として知られていたそうです。韓国人なら死ぬまでに一度は行ってみたい島であり、独島への船が唯一出ている島でした。

 ソウルからウルルン島までは乗り換えの待ち時間も含めると7時間かかりました。深夜バスだったので、終電でチャムシル駅に行き、近くのロッテシネマで深夜上映のアラジンを見て時間を潰しました。夜中の3時にバスに乗りソウルを出発しました。早朝6時にカンルンという港町に到着し、朝ごはんを軽く済まして高速船に乗り換え、2時間荒波に揺られるとウルルン島に着きました。深夜バスでまともに寝られず、高速船で盛大に船酔いしたので島に着いた時にはフラフラでした。

 離島で海に囲まれているので、暑いだろうと思っていたのですが、ソウルより気温が低くて驚きました。それもそのはず、調べると緯度が新潟と同じでした。6月中旬でしたが、長袖の上着が必須なほど肌寒かったです。

f:id:hyun_nako:20190813181247j:plain

深夜バスの広告

 

神秘の島ウルルン

 格安パッケージツアーの日程は、初日にバスツアーがあり、2日目は自由観光、3日目にソウルに帰るというものでした。ツアーは朝食と昼食の計5食付きで移動費ホテル代全て合わせて37万ウォンという価格でした。団体のパッケージツアーなのでこの安さですが、個人で行くとなるとより多くの手間とお金がかかると思われます。

 一番心配したのはホテルでした。予約する時に「島のホテルはソウルよりも設備がいき届いてない場所が多い」と言われ、追加料金2万ウォンを払ってワンランク上のホテルを予約しました。あまり期待していませんでしたが、実際行ってみると部屋も清潔でシャワーもきちんとお湯が出ました。オートロックであることに感動し、テレビも大きくて基礎化粧品まで揃っていたので離島と言えども、きちんと選べばいいホテルもあることを学びました。

 ホテルに荷物を置いた後は、近くの食堂で昼食を済ませました。運悪く、ゴマの葉をふんだに使う食堂だったので、エゴマの葉が苦手な私は漬物とチヂミだけを食べました。お腹いっぱいにはならなかったのでホテルの近くのコンビニでパンを買って食べ、その後ホテルで2時間ほど仮眠をとりました。

 バスツアーは午後3時から夕方まで3~4時間のものでした。団体客全員でバスを貸切り、運転手の方が案内をしながら島を一周しました。最初は頑張ってガイドを聞いていたのですが、なにせまともに寝ていなかったので睡魔には勝てず、移動中はほとんど寝てしまいました。解説が聞けないまま、バスが止まるところで降り、そこがどこだかわからないまま観光し、またバスに乗り寝るというのを繰り返しました。竹島ばかり気にしていてウルルン島自体は詳しく調べてこなかったのですが、とても綺麗な島でした。平地がほとんどなく、右手は海、左手は山、島の中央にカルデラ盆地があり、島自体が特殊な地形をしていました。岩の造形や山の稜線が見たことのない形をしていて、不思議でした。さすが神秘の島と呼ばれているだけあります。カルデラの真ん中にある飲み屋さんで山菜の和え物とマッコリをいただきました。

 バスツアーが終わり、夜ごはんに刺身を食べました。聞くところによるとウルルン島はイカ漁が盛んらしく、港にはイカ漁の漁船がたくさん並んでいました。観光ツアーのバスの運転手さんにオススメの刺身屋を紹介してもらい、友達と2人で行きました。2人で5万ウォンで刺身の盛り合わせとイカの姿焼が出てきました。味は他の港町で食べたものとあまり差は感じませんでした。歯ごたえのある韓国の刺身という感じです。偶然隣に座った同じツアーに参加しているお姉さん方と途中で合流して、海鮮鍋とお酒を奢ってもらいました。やはり彼女たちも日本人がツアーに参加していることを不思議がっているようでした。「で、独島はどちらのものだと思う?」と言われ、ひやりとした場面もありましたが「日本人という理由で私が行けないという事実を見ると、ああ、日本のものではないのかもなぁと思うようになりました」と言葉を濁すと、満足したように「そうかい、そうかい、もっと食べな」とお猪口に焼酎をついでくれました。

f:id:hyun_nako:20190813182515j:plain

左上マッコリと山菜の和え物、右上バスツアーで回った岩、左下刺身セット、右下街並み

 

友達は竹島へ、私は1人残される。

 お昼に竹島へ出発するということだったので、午前中は友人と一緒に独島博物館と展望台に行ってきました。天気が不安定で雨が降ったり止んだりしていましたが、私が展望台に登った時はちょうど晴れて、綺麗な景色を一望することができました。運が良ければ竹島も見えるとのことでしたが、竹島の方向は曇っていて見えずじまいでした。

 博物館は山の斜面に沿って作られており、本当に独島のために作られた博物館でした。ウルルン島と竹島の歴史や今の竹島のリアルタイムの映像がみることができます。日本語の資料もたくさん展示されていました。

 博物館からの帰り道に、彼氏へのお土産を買いました。韓国人の友人は私が独島と書かれた扇子を買う姿を面白がって写真を撮っていました。

 博物館からの帰り道で愛国心溢れる横断幕の他にセマウルの旗を見つけて疑問に思いました。朴正煕時代の政策の旗がどうしてまだ掲げられているんだろうねと、友人と話しながら坂を下りました。

 昼食会場に向かうバスの中で、天候が不安定な中、運良く竹島行きの船が出ることが決定したと知らされました。友人は私に気を使いながら喜び、私は「私が行けない代わりに写真と映像をたくさん撮ってきて」と彼女に言いました。

 昼食後は私だけ別行動になりました。みんなが竹島に行っている間暇になるだろうと、あらかじめ別の遊覧船のツアー申し込みをしていたのですが、遊覧船ツアーは雨のために中止となり、1人港で4時間ほど時間を潰すことになりました。

 旅行会社の人にチャットでお勧めの場所やお店を聞き、港周辺を散策しました。桟橋では雨の中、おびただしい数の太極旗が風にはためいていました。海岸沿いの散歩道が綺麗だと言うので、カッパを買い、岩に沿って伸びる桟橋の奥へ行ってみました。大きな洞窟があったり、海の色が緑でとても綺麗だったりしたのですが、人工的に作られた散歩道が雨で滑りやすく怖くて途中で引き返しました。人がちらほらとしかおらず、ここで海に落ちたら誰も気づいてくれなさそうと生命の危機を感じたのです。岩の割れ目に居酒屋があって大自然を感じながらマッコリを飲めるとてもいい感じの飲みスポットもあったで、晴れてればと天気を呪いました。

 港に戻り、景色がダメなら食べ物だとガイドさんのオススメのお店を回りました。タネホットクもカボチャシッケジュースも美味しかったです。お土産にかぼちゃマッコリも買いました。お腹が空いたのでイカ焼きも買って食べましたが、昨日からほとんどイカしか食べてないので、すこし飽きました。

f:id:hyun_nako:20190813185443j:plain

左上夜の港、右上独島博物館、右下散歩道、真ん中下タネホットク、右下展望台


 

突然見つけた日本家屋

 ガイドさんオススメの店を回り終えてまた暇になった私は、大通りから一本裏道に入ってみました。小料理屋や民宿、モーテルが立ち並ぶ裏路地に突然日本家屋を発見しました。「ウルルン歴史文化体験センター」という看板が出ていて、どうやら公共の施設のようでした。扉を開けて入ってみると、古民家カフェのような作りになっていました。レジにいる人にどんな施設なのか聞いてみると、ドリンク代もしくは入館料を払えば飲み物を飲みながら日本家屋の中を見学でき、映像などもみることができるとのことでした。韓国の地方では古い日本家屋が残っていることがよくありますが、まさか離島で日本家屋に出会えるとは思っていなかったので思わず中に入ってしまいました。ぐるっと一周してみると、どうやら地域の憩いの場になっているようです。たくさんのお客さんが談笑していて、奥の畳の部屋では少年たちがギターの練習をしていました。あっけにとられて独島の壁画の前でぼーっとしていると、2階で映像上映が始まるというので上がってみました。広い畳の部屋にプロジェクターがあって、独島についての古い映像を人々が思い思いの場所に座り見る形のようです。結構古い映像だったので飽きて途中で出て行く人もいました。映像が終わりに近づいた頃、職員さんがやってきて、せかせかとなにかの準備をし始めました。「この後、講演会があるのでよかったら参加して行ってください」と言われ、パンフレットを渡されました。又とない機会だと思い、後ろの方に移動して、講演会が始まるまでかぼちゃジュースを飲みながら待ちました。

 講演会は、ウルルン島を拠点に活動する独島に関する研究会の成果発表の場らしく、いろいろなデータや資料をもとに独島を分析していました。発表によると年間170万人の人が独島を訪れ、5月から8月が観光シーズンだそうです。秋から冬にかけては悪天候のため独島に行くことはできないそうで、もし行ってみようと思っている方は気をつけてください。ちなみにウルルン島は豪雪地帯として知られており、冬はほとんど雪が降っているようです。

 途中から歴史文化体験センターの館長が参加し、発表が中断されて館長の挨拶がありました。その中で植民地時代にウルルン島で林業で名を挙げた1人の日本人がおり(名前は忘れました)、1910年代には約1300人の日本人が島に住んでいたそうです。和室の後ろ方に飾ってあった古い写真は当時の写真だと説明して下さいました。私は、偶然聞いた日本人の歴史に驚きを隠せず、もっと聞きたいなあと思いましたが時間が押してるということで、次の歌の披露に移りました。

 遠方からはるばるやって来た団体客の中から1人、韓国の伝統芸能の歌手の方がいて一曲披露されました。とても品のある綺麗な歌声ではあったのですが、紹介された団体の名前が「国家と独島を救う国民運動本部」ということに気をとられてしまいました。ここで私が日本人とバレては一大事だと、周りに気を配ることに集中していて、全く歌が耳に入ってきませんでした。

 曲の披露が終わった後、「時間がないので」と団体客の方がごそっといなくなりました。セーフ、と安心したのもつかの間、団体がいなくなると研究会のメンバー以外のお客さんが数名となり、自然な流れで残ったお客さんを交えての質問会が始まってしまいました。まず、ソウルから来た観光客が「独島を巡って日本と争っているのに、どうしてこのような日本家屋を保存しているのか」という質問が飛び、一瞬冷やっとしました。やはり、ここに観光に来ている人たちは日本に対して否定的な感情を持っているのかもしれないと瞬間的に思いました。その質問に館長が「植民地時代も私たちの歴史であり、日本家屋も島の歴史の財産だから」という趣旨の答えをしていて、少し安心しました。ソウルからの観光客の方は、館長の答えに少し納得がいっていないようでしたが、時間だからと途中で退出しました。

私もそろそろ出たほうがよいかもなと考え始めた時に、「そちらの方は、どちらからいらしたんですか?」と指名されてしいました。

「ソウルから来たんですが」

で止めればよかったんですが、学術的な集まりであるようだし、館長に好感を持てたのでこの際だから言ってしまえと思って

「実は日本人なんです」

と思い切って言ってみました。

すると、場が凍りました。

 

慌てて司会者が

「観光で来たんですか?」

と質問したので

「韓国には留学生として来て、ここには観光できました」

と言いました。

「韓国に来てどれくらいですか」

「8ヶ月くらいですね」

と言ったところで、遠くから「いやなんで韓国語あんなうまいんだよ」という声が聞こえてきました。なんだか騙したようで申し訳なかったです。

 私への質問はそれきりで、全体の進行はまた研究発表に戻りました。発表が続く中でも隣に座っていた館長が私に話しかけてきて「昔はね、日本人がたくさんいたんだよ」と昔話を始めてくださいました。しかしちょうどその時、旅行会社から電話がかかってきて、独島からの船が到着したので他の人たちと合流するようにと言われました。急いで荷物をまとめて港へ行き、旅行会社のバスに乗りました。文化センターの和室を出る時、入り口付近の人が私を睨んでいるように見えましたが、気のせいだと思うことにしました。

 

f:id:hyun_nako:20190813185648j:plain

ウルルン島歴史文化体験センター

 

嵐のように過ぎ去った2日間

「ただの岩だったわ~~」

という友人の感想を聞き「いいなぁ」と思いつつ、私にはまだ感想をいうこともできないのかと思うと少し寂しくなりました。友人が独島に行っている間に何をやっていたのか聞いてきたので、遊覧船がキャンセルされて1人で暇を潰していたけど悪天候のせいで散々だったと愚痴をこぼしました。日本家屋があったことを話すと友人も驚いていました。

 そして、ホテルに向かうバスの中で明日の船が悪天候のため全て欠航になることが知らされました。急遽夜の便で帰ることになり、ホテルに帰って急いで身支度をして、港のカンルン行きの列に並びました。船に乗る前に薬局でもらった強力な酔い止めを飲んだため、帰りは船で爆睡して起きたら陸に着いていました。真っ暗かつ土砂降りの雨の中、旅行会社のバスを見つけ、そこからまた3時間バスに揺られてソウルまで帰りました。真夜中のソウルは快晴で、48時間前と同じ静かなロッテ百貨店がありました。

 なんだか長い夢を見ていたような気分でした。終電は終わっていたので、チャムシルからナクソンデまでタクシーで帰りました。見慣れていたはずのハンガンの夜景は、タクシーから見るとまた違ったように見えました。長い時間をソウルで過ごしたと思っていたけど、この景色は知らなかったなと1人心の中でつぶやきました。

 竹島から帰ったこの日は、ちょうどサッカーのコロンビア対韓国戦の日で、タクシーから降りると居酒屋から、アパートから、コインランドリーのテレビの前から歓声と悲鳴が漏れ出ていました。帰り道にクァンアク区庁の前を通ると、広場でパブリックビューイングをしていました。私も少し足を止め、警備をしている警官の横に旅行バックを下ろし、しばし観戦しました。広場に設置された大画面の中ではたくさんの太極旗が振られています。おそらく今日が一生で一番太極旗を見る日なんだろうと考えながら、一喜一憂する人々を一番後ろからぼーっと眺めていました。ただただ私は日本人でした。

youtu.be

※友人が撮影した竹島/独島の様子です